発音を重視しすぎることへの警鐘

外国語を学ぶ上での障害は多々あるが、発音はその中でもかなり高い位置を占めていると言っていいだろう。会話においては、いかに自力で正しくかつ効果的な文章を構成することができても、発音が悪ければそれが通じないわけだから、それも当然な話だ。

しかし、どこまでよい発音を追及すべきなのだろうか?

もちろんネイティブ・スピーカと遜色ない発音ができるのに越したことがないのは異論なかろう。かといって、それには膨大な訓練の時間がかかる。一方、他にも学ばなければならないことはたくさんある。どこかで妥協線を引くべきなのだろうか?

Mixiには[英語発音美人になろう!]なるコミュがある。これは「発音命」の人たちが集う場だ。さて、そのコミュでの文法の上達法を議論するスレッドで、管理人を含め、何人もの人から文法を軽視する投稿が相次いだ。(そもそもなぜこのコミュでそのようなトピックが上がったのかは謎だが、それはさておく。)

それは違うだろう。

発音は大事。これは当然。しかし、コミュニケーションの観点からは、 他にも大事なことはいくらでもあり、文法もその一つ。これらの能力をバランスよく伸ばすことが、効率的・効果的なコミュニケーションを達成する上では必須だろうに、などと思っていると、Londonへの風というかたが以下のような書き込みをされた(#15)。

英語以外の言語でも勿論同じでしょうけど、

1)発音がキレイな英語はカッコいい。
2)発音がちょっぴり変でも、文法がきちんとしてる英語は威厳があって、カッコいい。
3)発音がクールで、かつ文法がきちんとしてたら、益々カッコいい。
4)両方が完璧で、でも話す内容がゴミなら、めちゃ恥ずかしい、

と思います。 ですから、個人的には始めに「コンテンツありき」で、文法がしっかりしてたら、少々発音がおかしくてもOK.
でも、+発音が良かったら、「きちんと教育を受けた人」という印象を与えられて、仕事やプライベートでの出会いが瞬時になった今では、大事なツールのひとつという感じがします。 

まったく仰せのとおりだ。しかも説明の仕方がうまい。 それに対して私が投稿した記事は以下の通り:

私はアメリカの、特に西海岸しかよくわかりません。そこに限った話ですが…。(他の地域では違うという意味ではありません。単に、アメリカの他の地域や、他の英語圏のことは知らない、ということです。)

ここのアメリカ人は、移民・外国人慣れしているので、意志の疎通ができる限り、発音に多少問題があってもなんとも思いません。英語が母国語でなくて訛りがあるけれど、それぞれの分野で活躍している人はたくさん知られてますし。また、コールセンターがどんどんインドにアウトソースされていることを見ても、彼らが訛りに寛容なことは見てとれるでしょう。

逆に、発音がうまいからといって、一般的には特に尊敬を受けるわけでもないです。ほとんどのアメリカ人は、外国語を真剣に習得しようとしないので、その大変さが分かる人は限られます。また、上と同じく移民慣れしてるので、移民二世などが完璧な英語を話すのも当たり前だと思ってます。

私の場合、日本生まれだと言うと、「ああ、アメリカで育ったのね」で、おしまいです。(違うのですが…。)発音のよさをとりたてて誉めてくれるのは、日本人(日系人ではなく)に接する機会が多く、日本人の発音が一般にひどいということをよく理解してる人のみです。全体からみると、極めて少ない割合ですよね。

それ以外の一般人にとっては、発音が多少悪いかよいかなどということより、あなたが言うことが興味深いかどうかの方が、ずっとずっと重要なのです。つまりまさに、最初に「コンテンツありき」ということです。

もちろん、意思疎通ができることが前提条件なので、そこに達するまでは発音も磨く必要があるでしょう。しかし、一旦そこに達したら、何が本当に重要なのかを考える必要があるでしょうね。

ところで、外国語を使った会話での意思疎通について、自分の場合はどうなのかというと、一番得意な外国語のはずの英語でもまぁまぁというのが正直なところ。普通にゆっくり話しているとき、特に電話での会話ではよいのだが、ジョークを飛ばすときのように、テンポが大事な場面で速く喋ると、聴き取ってもらえないことがある。これは狙ったウケが得られないという意味でも、関西人としての誇りを深く傷つけられる。これは悲しい。また、外や、ジム内のような周囲の雑音が多いところでも、聴き取ってもらえないことが多いように思う。これについてはやむをえない部分もあるが、やはり十分に明瞭に喋れてないのが大きな理由なのだろう。

仏語にいたっては、「何言ってるのかさっぱり分からない」とまで言われる始末。泣けるぜ。 韓国語は最近使う機会がないが…これもダメなんだろうなぁ。


この記事公開後の後日談を「おい、またMixiへの投稿記事勝手に削除されてるよっ!(-_-;)」に書いた。

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発音を重視しすぎることへの警鐘 への3件のフィードバック

  1. Takafumi より:

    同感です。言語の習得という行為自体が目的の人はそれでいいのですが、おそらくは新しい言語学ぶ人はそれをツールとして使いたいのでしょうから、それができるようになったところでOKじゃないでしょうかね。生活の中でも、自分にとって必要と思われる内容は、拙い英語と発音で話しても、きちんと聞いてくれようする人が多いなと思います。これは西海岸だからかな。

  2. didadi より:

    私も「Londonへの風」の意見が賛成です~綺麗な発音と正確な文法をできるには外国語としてどれくらいの努力が必要でしょう~ *天才除外

  3. Yasuro より:

    お二人さんコメントどうもありがとうございます。(^o^)
     
    bg* さん:地域性は確かにあるかもね。やはり西海岸は移民馴れしているので、基本的に、そういうもんだ、と思ってくれてるところはあるのかも。Midwestとかだとどうなんだろう。あるいはDeep Southとか。個人的にはそういうところに行くことはないと思うけれど。(^^)
     
    didadi♪☆:「きれいな発音」+「正しい文法」かぁ。どれくらい時間かかるんだろうねぇ。母語や、既に習得している外国語と、どれくらい似通ってるかによっても大いに違うだろうね。ただ、川端康成の「雪国」の英語訳で知られるエドワード・G・サイデンステッカーは、確か戦争中の軍関係の学校で日本語の特訓を受け、1年程度でもう日本語の新聞を読んでいたらしい。だから、本当に集中すれば、それくらいでそのレベルに達することができるのかも。ただ、その「天才除外」にひっかかるかもね。

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