神戸の鉄人28号

15mの『鉄人28号』モニュメントが神戸市・長田区に完成」…自分にとっては非常に嬉しいニュース。新長田駅は中学・高校に通った6年間の間、JR線と神戸市営地下鉄の間で乗り換えするため平日は毎日通った。それだけではない。長田には母方の祖父の自宅を兼ねた歯科医院が、この記事の中でも触れられているいくつかの商店街の一つの中にあり、今は亡き母をはじめ、その兄弟たちが育った場所でもある。私自身にとっても物心つく前から、何度も何度も訪れた場所で、よくしてくれた祖父母や叔父たちの思い出が詰まっている懐かしい場所でもある。

しかし、阪神大震災でこのエリアは全く変わってしまった。震災時に最も被害の大きかったエリアなのだが、それだけではない。このエリアは古くは中小のゴム靴工場などが産業の中心だったところで、そもそも経済レベルは高くなかった。そのため震災から何年も経った後でも、このエリアの人たちは再建するだけの財力がなかなかなく、以前は小ぶりの店や家屋が並んでいたところも、更地のまま残っているのである。祖父の歯科医院はその後叔父の一人が継いでいたが、震災時にも幸いにして大きな被害はなかった。確か1ブロック先だかまでは焼けたそうだから、非常に幸運だった。しかし、周りの人たちが戻ってこない。そのため閑古鳥が鳴いていると聞いた。祖母がよく買い物に行っていた医院近くの市場もそれっきりになっているのではないだろうか。自分にとってはとても悲しいことだ。

だから、鉄人よ、お前の力で長田を盛り立ててくれ!

記事中に、粉物屋が多い、とあるが、祖父母宅の近くにも、小さなお好み焼き屋があった。確か、2m x 1m 程度の鉄板を囲むようにせいぜい10人ほどの席しかなかったように覚えている。席は緑色とか赤色のドーナツ型のトップのスツールだった。私の両親はジュースの類を滅多に飲ませてくれなかったが、祖母か叔父とそこに行ったときにはサイダー(もちろん三ツ矢サイダー)を飲ませてくれるのがとてもうれしかった。でも、もっぱら祖母が持ち帰りしてくれたのを食べたように思う。当時の自分には量が多くて、おなかが一杯になって満足した。

やはり子供の頃の思い出は食べ物と結びついていることが多いようだ。自分が子供の頃は、まだ冬には焼き芋屋が商店街にやってきた。これがまたうまくて…。祖父が存命中は、帰る前に向かいの店でアイスを買うお金を出してくれた。これが毎回とても楽しみだった。祖母は「おこあ」(赤飯)もよく買ってきてくれた。ごま塩をかけて食べるとこれがまたうまい。この店は震災後に訪れたときにも無事残っていて、ほっとした。

余談。神戸発のどろソースが’90年代に人気になったらしいが、叔父たちによると、彼らが子供の頃は工場を訪れて分けてもらっていたそうだ。

鉄人28号というと、子供の頃、三宮の父方の祖父母の家で、同年代のいとこたちと鉄人28号ごっこをした覚えがかすかにある。紙箱に千枚通しを2つぶっさして、はい、コントローラ。祖父はテーラーだったから、二階の仕事場に千枚通しが転がっていたからだろう。しかし、今もってなかなかいいアイディアだ。

この祖父母宅も、震災で全壊してしまった。祖父はもう私が子供の頃に他界してしまっていたが、震災時1階で寝ていた祖母は生き埋めになってしまった。勤務先の会社が文字通り潰れてしまったのを見た後急行した父が、近所の人たちの助けを得て祖母を助け出した。祖母は奇跡的に無事だったが、引き取られた父の下で痴呆が進み、やがて他界してしまった。

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